12月の雨

作・み え


 期末テストは最悪だった。

 12月の午後の日差しが、憎らしいくらいのどかで平和に、街じゅうを照らしている。無防備に日差しを照り返す石畳に、かさかさと枯葉がすべってゆく。陽だまりはあたたかいけれど、風は思わず首をすくめてしまうほど冷たい。

「さすがに12月だね。風が冷たーい」
「うん」

 すぐ先に、綺麗に整備された公園がある。最近出来たばかりで、私と夕香のお気に入りの場所だ。しかも公園の入り口にはコンビニエンス・ストアがある。学校帰りの買い食いはいけないという校則があるけれど、中学二年生もあと少しのこの時期にもなると守ってはいられない。

 暖かそうなガラス張りのそのお店を、私たちは小走りになって目指す。

「私さ、テストの成績悪かったんだ」

 ピザまんを頬張りながら、夕香が言う。私は頷くと、

「私もすごく悪かった。お母さんに、見せられないや」

 あんまんを、そおっと口に運んで言った。白いふわりとしたあんまんは、中のあんがびっくりするほど熱くて甘い。

「智世はいいじゃん。それでも、私よりは平均十点くらいは上でしょ?」

 夕香の言葉に、私は首をかしげてどうかな、とつぶやいた。確かに夕香よりは成績はいいかもしれない。クラスでも真ん中よりは上の順序だ。だけど、この中学二年の二学期末という時期に、がくんと成績が下がってしまうのは恐い。ずっと希望していた高校へ、行けなくなってしまうかもしれない。

「夕香は塾とか行くの?」
「うーん。そろそろ行かなきゃまずいんだろうけど、春には大会もあるからさ、部活のほうを頑張りたいんだよね」

 ピザまんの最後のひとくちを放り込むと、紺のプリーツから伸びる足をぽんと叩く。健康的に日焼けしたその足で、夕香は夏のハードル飛びの県大会に出場した。

「陸上部、忙しそうだね」
「まあね。年が明けたら、大会予選もあるし、みんなはりきってる。智世は?文芸部行ってるの?」
「それが・・・・・・全然。私、ユーレイ部員だからさ」

 曖昧に笑ってあんまんを無理やり頬張った。内申書のために籍を置いているだけの私は、こういうときなんとなく夕香の顔を見られない。

「それにね、期末テストの成績が悪かったから、冬休みから塾の冬期講習に通わなくちゃいけないんだよね」

 言ってから、言い訳してるみたいだと思った。でも夕香は何事もなさそうに、ふーん、と頷く。

「智世、私よりずっと成績いいのに。大変だねー」

 立ち上がって、手元に残った包装紙を、ぽいっとゴミ箱へ投げ入れる。そこであれっ、と彼女が声を上げ、こちらを振り返った。

「ねえ、ちょっと、あれ見て」

 ゴミ箱の先の公園の柵に寄りながら言って、夕香は手招きした。金網の柵の向こうには街路樹の並ぶ道路がすうっと伸びていて、道路の両端は商店街が続いている。その、ちょうどカメラ屋さんの前を、見覚えのある学生服を着た男子が歩いていた。

「あれって、後藤じゃない?」

「……うん」

 小さく頷いて、私の目は彼の背中に釘付けになった。後藤修二。彼は、同じクラスの背の高い男の子だ。一年生のときから同じクラスで、そんなに話をするわけでもないのに、いつからか、私は彼の姿を目で追っていた。間違えるはずもない、見慣れたうしろ姿。

「あいつの家、確かとなり町だよね?こんなところで何やってるんだろ?」

 金網にじっと顔を寄せて、不信げに言う。夕香にも言っていないこの気持ちを、できるだけ悟られないようにと無意識に緊張しながら、私は彼の背中を見つめた。後藤修二は、きょろきょろと辺りを見まわしながら歩いている。何か、探すみたいに。やがて、商店街の路地にふっと姿を消した。

「あ、あいつ、エメ通りに入って行った」

 夕香は意気込んで言う。エメ通りとはエメラルド通りと言って、怪しいお店が建ち並ぶ路地裏の小道だ。

「あんな道へ入っていくなんて、怪しくない?何してるんだろう」

「さあ・・・・・・」

 小首をかしげて、いかにも興味のないように、さりげないように、言った。

「あ、やばい。今日は午後から、おばあちゃんの家に行くことになってるんだった」

 夕香は腕時計を見て言うと、あわててカバンを持って立ち上がった。

「ごめん。それじゃあ、また来週ね!」

 オレンジ色のマフラーをくるくるっと巻きなおして、軽やかに走って行ってしまった。そのうしろ姿を見送ると、私はもう一度、さきほどの商店街を見つめてから、夕香とは反対の公園の出口へと向かった。

 階段を下りて、ふと、私の目はそこにいないはずの姿を追って、商店街のほうをさまよってしまった。安っぽいクリスマスの飾りつけがされた商店街は、平日の昼間のせいか、あまり人通りはなかった。

 そういえば、塾に行くにはエメ通りを通る行きかたもあったな・・・・・・。

 普段は、親からも先生からも、あまり近づいちゃだめだと言われている、その路地。夜に何度か覗いたことがあるけれど、赤や紫のネオンが派手に光っていて、確かに近寄りがたい雰囲気だった。でも昼間だったら、大丈夫かもしれない。そうだ、クラスの女子が、昼間のエメ通りはなんでもないってことを話していたじゃない。

 思わず、カバンを握る手に力が入ってしまった。そうだ。塾へプリントをもらいにいこう。来週までにやらなくちゃいけないプリント、なくしたってことにしよう。

 頭の中で無理やり理由を作ってしまうと、おかしいほどに私の気持ちはエメ通りへと向かった。塾へ行くには、一番の近道だから・・・・・・。言い聞かせるように考えて、私は早歩きになって、その路地へと進む。

 キラキラと金色に光る飾り付けが巻かれた、薬屋さんのクリスマス・ツリーの横を通りぬけると、クラスメイトの噂になにかとのぼる、その怪しい路地が現れた。

 ちらりとのぞいてみる。そこは、以前見たことのある夜の姿は面影もなく、真昼間の白くて明るい光に照らされて、寂しいくらい何もなかった。

 あの紫色の看板も、太陽の下ではひびの入った、ただのがらくたみたいに見える。スーパーのビニール袋が、冷たい風にあおられて、ひらひらと飛び回っている。その寒々とした風景の中に、私はきょろきょろしながら、一歩ずつ踏み込んだ。なんだかとても悪いことをしているみたいだ。誰かに見られたりしたら、どうしよう。やっぱり、戻ろうかな。

 戻ろうかどうしようか迷いつつも、足はなぜか止まらずに前へ進む。さっき確かに、後藤修二の姿を見たのに。どこへ行ってしまったんだろう。

「ええっ?カナエちゃん?カナエちゃんは、まだ来てないよぉ」

 そのとき、細いわき道から、面倒くさそうな女性の大きな声がした。振り返ると、学生服姿がちらりと見えて、私は息が止まりそうになった。

「何時頃に、来るんですか?」
「さあねぇ。多分、六時か七時になると思うけど」

 お店の裏口のようなところに、ぶかぶかの派手な柄のセーターを着たオバサンと、後藤修二が立っていた。私は思わず看板の陰に隠れてしまう。

「カナエさんの住んでる場所を教えてもらえませんか」
「はぁ?あんた、カナエのなんなの?まさか、子供じゃないわよねぇ」

 言って、オバサンはひとりでゲラゲラ笑ってる。そっと覗くと、見覚えのある横顔が見えた。いつもクラスでユニークなことばかり言って、みんなの笑いをとっている後藤とは思えないほど、その横顔は張り詰めていて、口元も震えて見えた。

「あんた、中学生?なんだか知らないけど、カナエの住所なんて、教えるわけないでしょ。学生服でこんなとこウロウロすんじゃないよ。ほら、帰りな」

 一方的に言って、オバサンはドアをばたんと閉めた。後藤は、そのまましばらくドアの前でたたずんで、それから学生服のポケットに手をつっこむと、うつむき気味にこちらへ歩いてきた。私は慌てて、あたりを見回す。でもその狭くて何にもない路地には隠れる場所なんて、どこにもなかった。

「あれ?」

 どきんとした。振り返ると、まだ険しい顔をしたままの、後藤の目と合った。

「沢口が、どうしてここにいるんだよ」
「あ、あのね、この先に塾があって・・・・・・。プリントをね、取りに・・・・・・」

 言いながら、こみあげてくる涙を押さえるのに必死だった。目の前にいる後藤は、見たこともない怖い顔で、こちらをじっとにらんでいる。私は、急に恥ずかしくて、いたたまれなくなってしまった。なんで、こんなところへ来ちゃったんだろう。

 声が途中でつまったまま黙っていると、ふいににぎやかな声が背後から聞こえてきた。振り返ると、黒いサングラスをかけた怖そうなおじさんと、白いフワフワしたコートを着て、すごく短いスカートをはいた若い女の人だ。二人は私たちの横を通るとき、じろじろと無遠慮な視線を投げかけてなにやら耳打ちをし、大きな声で笑いながら歩いて行った。

「行こう」

 黒い学生服の腕が伸びて、私の腕をつかむと、後藤はぐいぐいと引っ張ってゆく。私は引かれるまま、後藤についてエメ通りを小走りで進んだ。



「沢口が行ってる塾って、川崎塾?」
「・・・・・・うん、そう」

 エメ通りを抜けると、細い川の流れる通りに出た。地理的に知ってはいても、実際に来たのははじめてで、私はなんだか心細い気持ちになって、見知らぬ道を、後藤の背中を見ながらとぼとぼと歩いた。

 川の向こう側には、住宅街が続く。赤い塗装の剥げかけた小さな橋を渡ると、ブロック塀が迫る川沿いの細い道を行く。多分、この道を通り抜ければ、私の行く塾のある大通りにでるのだろう。

 12月の日はもう傾きはじめていて、見知らぬ風景を斜めに照らす。太陽の光を反射させて、小さな川からは、絶えずチョロチョロと水の流れる音がしていた。切ないような不安な気持ちが胸をいっぱいにさせて、私は前をゆく背中に向けて、話さずにはいられなかった。

「後藤って、このへん、詳しいの?」
「3組の滝川の家がさ、この近くだから」
「あ、そうなんだ・・・・・・」

 確かに、滝川とよく廊下で話している姿を見かけた。でも、だからといってエメ通りの、あのお店にいたことと関係あるのだろうか。

 聞きたかったけれど、教室で知っていた顔と、あまりに違う後藤の表情を思い出すと、とてもそんな気になれない。1年のときから目で追うばかりで、実際に後藤と話したことは数回しかなかった。はじめて、ふたりきりで話せたのに。不安と高鳴る胸の動悸とで、吐く息が震えているのが分かる。

「あのさ、・・・・・・さっきのことだけど」

 ふいに足を止めて、後藤はこちらに横顔を見せて言った。

「あのオバサンと話してたところ、見てた?」
「え?あ、あの・・・・・・ごめんなさい、声がして・・・・・・」

 いきなり聞かれて、私は素直に答えるしかなかった。後藤は、はぁ、とため息をつくと、 空を仰いで、頭をばりばりとかきむしった。

「あの、ごめんなさい。でも、私、誰にも言わないから」

 ごくりとつばを飲み込んで言うと、後藤はブロック塀にもたれかかって、ばつが悪そうな顔をする。

「ごめん。悪いけど、ほんとに俺があんなところにいたなんて、みんなには内緒にしておいてくれよ」

 太い眉毛が困ったように歪んで、一瞬、後藤が泣いているように見えた。

「なんかさ、親父が、浮気してるみたいで」
「え?」

 うわき?

 思いもしなかった言葉に、驚いて私は言葉を失った。

 後藤は、人通りのないこの川沿いの細い道に、その高い背をかがめるようにしてしゃがみこむと、雑草をひとつかみ、むしり取って川へ投げた。ぽちゃんと音がして、雑草が浮かぶ。

「最初は兄貴が言い出したんだけど・・・・・・」

 細い指で雑草をむしっては川へ投げながら後藤は、高校生のお兄さんが、友達が父親と女の人が一緒にいるのを見たと言う話、確かに最近、父親の帰りが遅くなったこと、それで父親の手帳やカバンをこっそり調べて、あのさっきの店の名前と、女の名前が分かったことをぼそぼそと話した。

「え、その、後藤のお父さんの浮気相手が、あのお店で働いてる女の人ってこと?」
「うん。多分」

 後藤は背が高いけれど、体は痩せている。その細長い両腕をひらりと上げて、伸びをした。

 その動作につられて空を仰ぐと、いつの間にか、遠くの空のほうが雲で埋めつくされている。頭上の空はまだ青いけれど、いずれここも雲に隠されるのかもしれない。

 テレビドラマや、小説の中の話だと思っていたような遠い出来事が、実際にあるなんて・・・・・・。後藤の痩せた背の高い横顔を盗み見ながら、私は急に自分が、小さな子供のように感じた。

「川崎塾、この先まっすぐ行けば大通りに出るから、そしたら分かるだろ?」
「あ、うん。・・・・・・後藤は、またあのお店に戻るの?」

 恐る恐る聞くと、後藤はじっと何かを考える顔をしてから、頷いた。

「六時ごろまでどっかで時間つぶして、行くよ」

 じゃあ、と言って後藤はさっさとすぐ横のブロック塀の間の小道に消えてしまった。滝川という友達の家に行くのかもしれない。
時計を見ると、四時近かった。ふと思いついて、私は塾への道を小走りで急いだ。



 塾にある自習室を出ると、すっかり日が暮れていた。自習室は、塾のない日でも勉強できるようにと、塾側が開放している教室だ。数枚のプリントと参考書をカバンにしまって、私はマフラーを首に巻きつける。

 家には勉強してから帰ると電話をいれておいた。嘘はついてない。でも、自習室で向かったプリントは、二時間かけてやっと一枚、書けただけだった。

 シャーペンを持っても、そわそわして落ち着かない気持ちがずっと続いていた。その気持ちのままで、私の足は自然とエメ通りに向かう。

 もうひとめ、後藤の姿を見て帰ろう、と思った。いつも見ているだけでうれしかったのに、あんな風にふたりきりで話せたなんて、さっきの出来事は、うそみたいだ。もうひとめ見れば、このそわそわした気持ちも落ち着くかもしれない。

 夜の冷たい風が頬に突き刺さる。スクール・コートからも冷気がじわじわと伝わってくるのを感じた。空は、星ひとつ見えない曇り空だ。

 昼間とは違って、商店街は賑やかだった。高校生や、買い物をしているオバサンの姿も目立つ。ゲーム・センターの前で何やらはしゃいでいる数人の高校生たちの脇を、恐る恐る通り抜けて、私はエメ通りのある薬屋さんへと向かった。

夜のエメ通りは、とても近寄れる様子じゃなかった。昼間の閑散とした雰囲気とはまるで違う。カラフルなネオンが細い小道にぎっしりと集まってる。こんなに看板、あったっけ?

「なんだよ・・・・・・、まだ、いたのかよ」

 薬屋さんの横で、ちらちらとエメ通りを覗いていると、背中から声がかけられた。後藤は制服姿のまま、首に茶色いマフラーだけを巻いてこちらを睨んでいた。

「お前さあ、ひとの不幸が楽しいわけ」

 刺すような視線で言われて、私は一瞬で後悔した。

「そういうつもりじゃ・・・・・・。なんか、気になって・・・・・・」

 体中に後悔の気持ちが染み渡るのを感じた。手先がすうっと冷たくなって、ぴくりとも動かせない。

「あのさ・・・・・・」

 ため息をついて、言いかけた後藤の頬が、ぎゅっと緊張した。太い眉毛の下の目が、まばたきもしないで私の後ろを見つめている。その強い視線の先を追うと、そこには、ちょうど私たちの立つ位置の反対側から歩いてきて、エメ通りに入ってゆく、髪の短い女性の姿があった。

「あいつだ。写真の女だ」

 後藤は短く言うと、さっと女性の後を追って歩き出した。思わず私もあとを追って、エメ通りに入ってしまった。

 黒い皮のコートを着て、赤い短いスカートをはいてる。細い足が、軽やかに運ぶたび、カツカツと鋭い音が狭い路地に響いた。

「あの、すみません」

 後藤が言うと、振り返り眉根を寄せてこちらをにらんだ。大きな目の女性だった。

「なに」
「エフってお店の、カナエさんですよね?」
「はぁ?あんた、誰?」

 赤い唇で、不機嫌そうに聞き返し、カナエという女性はじろじろとこちらを見た。私は後藤のうしろに、つい隠れてしまう。

「後藤と言います。親父のこと、知ってますよね」
「ごとーう?」

 カナエは大きな目をぐるりと上に向けて、首をかしげてから、ああ、と言った。

「後藤さんね。うちのお得意さんだけど。それがなに」
「親父と、浮気するの、やめてもらえませんか」

 強く言った後藤の、手が細かく震えているのが分かった。

 突っ立ったままの私たちの横を、通行人がじろじろ見ながら歩いてゆく。

 カナエは、一瞬ぽかんとした表情を見せて、あはははは、と大きな声で笑った。

「あんた、何言ってるの?私が後藤さんと付き合うわけ、ないじゃん。ただのお客さんだし」

 本当におかしいのか、涙まで流している。その無遠慮な笑い声に、なんだか私のほうがむかむかしてきた。

「あはは、なにその顔。真っ赤にしちゃって。ヘンなこと考えてないで、中学生は早く家に帰りなよ」

 ケラケラと笑って言いながら、カナエは身を翻して行ってしまった。そのうしろ姿を一瞬見送ったあと、くるりと振り返り、後藤は早足になって元来た道を戻ってゆく。あわてて私も従った。

 ぽつぽつと、額や髪に雨粒を感じた。小走りになりながら周りを見渡すと、ネオンの看板の光に照らされて、細かい雨が見える。雨は、わたしたちがエメ通りから抜け出たころには強く降り始めていた。

 12月の雨は、とても冷たい。頬や髪をしたたる雫が、首もとのマフラーに落ちて、首をすくめるほど体が冷えるのが分かった。

 商店街の屋根のある通りに出ると、私はほっとして、髪やマフラーについた雨粒を払った。後藤は、速度をゆるめることなくさっさと商店街を歩いてゆく。雨粒で水玉模様になったううしろ姿の制服のすそを、私は思わず、引いてしまった。

「ごめんなさい。・・・・・・本当に」

 後藤は足を止めて、ゆっくりとこちらを振り返った。雨に濡れて顔に重く垂れ下がった前髪から、雨粒が後藤の頬を滑り落ちていった。

 すぐ横にある、商店街のクリスマス・ツリーに巻かれた、ぴかぴかと点滅するライトの光が、そんな後藤の横顔や、私の制服に反射している。雨粒で濡れた前髪の向こうの後藤の目は、雨粒ではないもので濡れているように、そのとき私にはそう見えた。

「もういいよ。・・・・・・それじゃ」

 低い声で言うと、後藤はまた背中を見せて歩き出した。

 カバンをぎゅっと握ると、私は自分の頬のしずくをぬぐって、後藤の高い背中に向かい、できるだけ明るい声を出した。

「ねえ、年賀状、出してもいい?」

 後藤は首をかしげるようなそぶりで小さく頷くと、一度も振り返らずに、商店街のにぎわいへと消えていった。

 商店街の屋根からはみ出たクリスマス・ツリーに、雨粒がぱたぱたとあたって、ささやかな、音を立てている。
 私はしばらくの間、じっとそこにたたずんで、そのどこかリズム感のある、耳に心地いい音を聞いていた。

 

おわり


 



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校則違反だと知っていながら、学校帰りに食べるあんまんは、極上の味でした。
絶対に気づかれないようにと、校舎の窓から盗み見た彼の姿は、目に焼き付いています。
先生や両親や、まわりの大人に対して持つひみつは、最高のテンションにしてくれました。

そんな時代を、思い出して、書いてみました。

 

Story & comment by みえ

 


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