連載小説「旅色の空」第5回

青い雪

作・み え




 目の前に白いものが舞い降りて、見上げるとどんよりとした空から無数の雪が落ちてきた。雪がやんでいたのはほんの1時間足らずで、たちまち視界が阻まれるほどの降りになる。

 先ほどからずっと眺めていた、眼下に広がる白銀の世界にも粉雪が舞い落ちて行く。遠い山並みは白くかすみ、ふもとの家々は積もった雪の狭間から屋根の色をうっすらと見せて点在している。白い平原の端のほうには、線路がすうっと筆で書かれたような、一本の線になって走っている。

 どこもかしこも白いその世界に、きらきらと小さな、さらに真白い粒が果てしなく降り注ぐ。

 幻想的な美しさに、私は頬も耳も痛くなるまで気づかずに、立ち尽くして見惚れてしまった。それから慌てて、マフラーを鼻まで巻き上げる。

 雪国とは無縁の場所で育った私は、この真っ白な風景をいつまでも見ていたくて、本格的な冬が始まってからも、この地方を離れられずにいた。どこまでも続く白銀の世界。子供の頃テレビで見たそれは、私を少しも飽きさせなかった。

 シャリシャリと雪を踏みしめる音が聞こえて、降り返るとバスが坂道をゆっくりと下ってくるところだった。この広場と道路を挟んで反対側のバス停に停車し、バスを降りてきたらしい子供たちの、きゃあきゃあと騒ぐ声が聞こえた。

 やがてドアが閉まる音が聞こえ、ゆっくりと走り出す。

 雪によく映えるオレンジの車体を何気なく見送ったそのとき、最後部の窓にちらりと派手な緑色のリュックが見えた気がした。驚き、思わず追いかけようと走り出した足が何かにつまずいて、白い地面へと私は倒れこんだ。

「きゃあ、冷たい!」

 降り積もった雪に思いきり顔を突っ込んで、その冷たさに慌てて起き上がる。足元を見ると、小さな容器が倒れて、白い広場の一部分に、青い液体が染み渡っていく。

「なに?これ…」

 コートについた雪を払いながら、黄色いバケツを手に取った。小さなそのバケツに見覚えがある。小学生の頃、図工で使っていた水彩絵の具用のバケツだ。

 青い絵の具が溶けた水がはいっていたのだろうか。みるみるうちに白い雪が青く染まり、足元に鮮やかな青い水溜りができあがっていった。

「あ、青い雪だ!」

 背後から声がして、振りかえると黄色い帽子をかぶった子供たちが、びっくりした顔で私の足元を指差している。先ほどバスを降りた子たちらしい。ダダっとこちらに駆け寄ってきた。

「青い雪、降ったんだよ!」

「本当だ。すごいねえ、私、初めて見たよー」

 口々に叫んで、見入っている。青い雪?いったいなんのことだろう。

「お姉さん、青い雪が降ったところ、見たの?」

「え?」

「これ、青い雪でしょう?青い雪が降るとねえ、しあわせになれるんだよ」

 真っ赤になったほっぺたで、白い息を吐きながら、興奮気味に女の子が言った。私は意味がよく分からないものの、とにかく説明しようと、バケツを指差しながら口を開いた。

「あ、あのね、これはね、そのバケツを…」

「すごい!」

 ひとの話など全く耳に入らないようで、子供たちはわあっと声を上げると、

「明日、みんなに話さなきゃ!」

「そうだ、お母さんにも教えてあげよう」

 叫びながら、駆け出して、元気に山を降りて行った。

 その後姿を、唖然と見つめる。

「青い雪?なんなの、それ…」

「この里に伝わる、伝説ですよ」

 その声に振り向くと、茶色いコートを着込んだ老婦人がにっこり笑って立っている。

「青い雪が降るのを見ると幸せになれる、っていう言い伝えがあるんですよ、この丘には」

 おそらく彼女もバスから降りてきたのだろう。人の良さそうな笑みを浮かべて、続けて言った。

「へえ…そうなんですか」

『青い雪』かあ。聞いたことないし、想像もつかない。雪ってそもそも、白いからいいんじゃないのかしら。そんなことを思いながら、足元の雪を眺め、それからはっとした。

「えっ?それじゃあ、さっきの子達、もしかして、この青い絵の具を…?」

 老婦人は、小さな手で口元を押さえて、可笑しそうにうふふ、と笑う。

「子供たちの噂って早いものねえ。明日には、ここにたくさんの子達が押し寄せるかもしれないわねえ」

 頭を抱えこみたくなった。私はなんだかとんでもない勘違いをさせてしまったようだ。

「まあ、子供は忘れるのも早いですから」

 泣きそうな表情をした私にそう言って、老婦人は笑顔で会釈し、歩き出した。

 確かに『青い雪』と言えば、そのとおりとも見えるけど…。子供たちが今ごろ、目を輝かせて話していることを思うと、良心がちくちくと痛んだ。

 大体、こんなところにバケツなんかあるから。手にとった黄色いバケツを憎々しげに眺めた。そのとき、先ほど見た映像が、フラッシュのように頭に瞬いた。

「あ、ちょ、ちょっと、待ってください」

 黒い長靴をキュッキュと鳴らして坂道を降りて行こうとしていた老婦人に、駆けよった。

「あの、さっきのバスに、乗っていらしたんですよね?」

「ええ。そうですけど?」

 私は過ぎ去って行くバスの、後部座席にちらりと見えた緑のリュックをもう一度思い出しながら、

「さっきのバスに、派手な緑のリュックサック持った人、乗ってませんでした?」

 白い息をはずませて聞くと、女性は斜め上に目線をやりながら、うーんと言った。

「どうだったかしら。見た覚えがあるような気もするけれど」

「大きなリュックなんです。背の高い、色の黒い男性で」

 胸が高鳴る。心臓の音が、口もとまで響いてきてるみたいだ。

「…うーん、ごめんなさい、ちょっと思い出せないわ」

 がっくりときた。

 私があまりにも肩を落としたように見えたのだろうか。老婦人は、もう一度ごめんなさいね、と謝ると、ゆっくり坂を降りて行った。

 その後ろ姿を見送りながら、深いため息をつく。

 夏には果樹園の観光地として有名なこの里を訪れたのは、いつもの気まぐれだった。昨日小さな駅へ降りたって、私はあちこちで口癖になってしまった質問を繰り返した。

「緑のリュック…?ああ、見たわね、そういえば」

 そう言ったのは駅前の土産物屋の奥さんだった。何度口にしたか分からないその質問に、初めて帰ってきた手応えのある答え。嬉しくなって私はすぐに民宿を探し歩いた。

 そして、今朝、自分の泊まってる民宿のおかみさんから、『たつみ屋』という宿に、それらしい人がいると聞き、慌てて『たつみ屋』なるものに行ったのだが、すでに出かけた後だったのだ。

 今朝から町中探し回って、最後にたどりついたのが、この丘だった。

 やっぱり、もう、だめなのかな。

 首を回して、足元に広がる白い世界を眺めて思う。あの蝉の森で出会ってから、もう一度彼に会いたくて、探しつづけてきた。でも、現実問題として、彼がいつまでも私のように旅を続けているとは限らない。ましてや、自分の行く先に偶然いるなんてこと…。有り得るのだろうか。

 いつのまにか雪はほとんどやんでしまい、冷たく乾いた風が吹き抜ける。

 そうしてぼんやりと目の前の白い風景を眺めていると、最近、幾度となく頭をよぎる疑問が浮上してきて、私の体から力を奪ってゆく。私はこの旅の終わりを意識することが多くなってきた。

 半年以上も前の初夏の頃、傷心旅行と称してはじめたこの一人旅も、当初の意味あいを考えれば、その目的はもう十分に達せられたようにも感じる。

 いいかげん、終わるべきなのかな…。そう思いつつも、どうも煮え切らない部分があって、ずるずると私はこの問題を抱えたまま、旅を続けていた。

 風がひゅうと吹いて、粉雪を巻き上げる。遠い線路に列車が走ってゆくのを眺めながら、私は重い気持ちで、腰を上げた。



 宿に帰ろうと傍らのリュックを背負ったとき、シャリシャリと雪道を踏み分ける足音が聞こえてきた。見ると、赤いコートを着た少女が、坂道を小走りで駆け上がってくる。

 小学校一,二年生ぐらいだろうか。大人の足でもふもとから二十分はかかる坂道を登ってきて、はあはあと白い息をはずませながら、少女は私の目の前まで来ると、よく透る声で言った。

「あの、お姉さん、この丘に青い雪が降ったって、聞きました?」

 ぎょっとなった。心臓が突然はたかれたような音を立てる。

「あ、えーとね、それはね…、確かに青いといえば、そうなんだけど…」

「あ、もしかして、見たんですか?ほんとに?ほんとなんだ!」

 大きな眼をきらきらと輝かせて、少女は叫ぶように言った。その瞳を見て、私は否定しようとした言葉を、思わず飲みこんでしまう。良心がギリギリと痛むのを感じながらも、笑顔を作って言った。

「私はね、降ってるところを見たわけじゃなくて、積もってるところを見ただけなの」

「えっどこ?どこですか?」

 少女は、三つ編みを揺らしてキョロキョロと辺りを見まわすと、

「あ!あれね?」

 言って、私が青い水をこぼした場所に走り寄った。コートと同じ位真っ赤になった頬を雪にくっつけんばかりにして、じっと見ている。その姿に、また胸が苦しくなってしまう。

「でも、少しだけみたいね。また今度、降るかもしれないわよ」

 その苦しさから逃れたくて、思わず言ってしまった。少女は、神妙な顔つきで、こくんとうなづいた。

「青い雪が降ったって、友達に聞いたの?」

 我ながら、しらじらしいかなあと思いつつ聞くと、いいえ、と少女は首を振る。

「友達じゃないけど、さっきすれ違った子たちが騒いでたから。私、ここから電車でちょっと行った所に住んでるんです。でも、青い雪が見たくて、毎日、来てるの」

「へえ」

『青い雪』という伝説は、こんな子供にまで有名なのか。ちょっと驚いた。

「青い雪が降ると…パパに会えると思うんです」

 小さな声でぽつりと少女は言った。

「パパに?」

 思わず少女の顔を見る。しゃがみこんでいた少女は立ちあがると、視線を真っ白な里へと向けて、続ける。

「あのね、パパとママ、ずっとケンカしてて…。そのうち、パパはいなくなっちゃったの。ママは、パパは青い雪を見に行ったって。ユキミを置いてっちゃうようなパパなんか、いらないよねって言うんです」

 たどたどしく少女は話し続ける。その小さな体にのしかかった大きな出来事に、私は戸惑いながらもじっと耳を傾けた。

 出て行ってしまった父親に、どうしても会いたい彼女は、最近やっと、この丘の伝説を知った。古い言い伝えは小学生の流行となり、口から口を通じて、電車で1時間も離れた、少女の住む町の学校にまで届いた。それから毎日、母親のスキを見ては少女はここまで通ってくるという。

「パパは、ユキミが小さい頃も、青い雪のお話、してくれたの。だから、きっと青い雪が降れば、パパもここに来ると思うんです」

 きっぱりと言って、小さな背中に背負ったリュックから、黒い筒を取り出して、両手でぎゅっと握り締めた。私は彼女のその強いまなざしを見つめて、来るといいね、とつぶやいた。

「パパはね、青い雪の絵が描きたいって言ってたの」

 え?と私は聞き返した。その声が耳に届く前に、彼女はちょっとあっちも見てくるね、と言って、坂の上のほうへと走って行った。

 いつのまにか雲は大分晴れて、青い雪が降る気配はなくなってしまった。そのかわり青い空がぽっかりと雲の狭間から姿を現して、気持ちのいい乾いた空気が頬をなでる。

 何日ぶりの青空だろう。久しぶりに目にした晴天が、私の中に爽やかな風を運んできたように感じる。自分と同じような旅をしている少女に出会ったからだろうか。

 ただ、パパに会いたいからと、そのひたむきな理由だけで、8歳の少女は毎日旅を続けているのだ。



 爽やかに行過ぎる風を感じながら、うっすらと雲の狭間から顔をのぞかせる、太陽の光に照らされて輝く里を眺めていると、後ろからざくざくと、強く雪道を踏みしめる足音が聞こえた。振り返ると、紺色のジャンパーを着込んだ男性が、重そうな荷物を両手にさげて歩いてくるところだった。

「あれ?」

 思いもかけぬものを見たように、男性は驚いて声をあげた。

「先客がいたとはなあ…。こんにちは」

 快活に言うと、不精ひげの生えた顔がにっこりと笑顔になった。思わず、私も頭を下げる。

「この里の方ですか?」

「いや、違います。ただの不良画家です」

 私が聞くと、自分で言って、おかしそうに笑いながら、荷物をどさっと近くの岩の上に置く。

「画家さん、なんですか」

「まあ、一応ね。いやあ、ここに伝説の青い雪が降ったって聞いたもんだから、大急ぎで来たんですが…知ってます?」

 どっきんと心臓が高鳴った。泣きそうな気持ちになりながら、ついまだ転がったままでいる、黄色いバケツに目がいってしまう。その私の視線につられたようにバケツへと目を向けた男性は、あ、とつぶやいた。

「これこれ。僕のなんですよ。どこに忘れたかと思ってたら…昨日、ここで青い雪の絵、描いてたから」

「え?」

 男性は背負っていた大きなリュックをどさりと置き、バケツを取りに行く。

「いやあ、昔から、これがないと、ダメなんですよね。恥ずかしい話ですが。水彩画を描くときはやっぱり、これじゃないと」

 取ってきたバケツをはたはたと叩いて、無造作にリュックへ突っ込んだ。私は、その大きなリュックから目が離せなかった。

「あの…」

「はい?」

「もしかして、『たつみ屋』に泊まってらっしゃいました?」

 鼓動が大きくなるのを感じながら言うと、男性はあっさり、ええ、と答えた。

「そうですが…よくご存知ですね」

 最後の最後まで残っていた光が、ぱらぱらと散ってゆくのを感じた。私は男性の、派手な緑の大きなリュックから視線が離せず、しばらくそのまま動くことができなかった。

 同じリュックの偶然がよんだ、その人違いに。

「パパ?!」

 そのとき、後ろから大きな声が聞こえた。振り返ると同時に、

「幸美?!」

 男性が叫んで、立ちあがるとユキミちゃんのそばへと駆け寄った。

「幸美、おまえどうしてここに…?ママは?」

 ふわりと赤いコートを翻して、父親の目の前に立った娘に問い掛けると、ユキミちゃんはぷるぷると首を振った。

「パパに会いたくて、ひとりで来たの。青い雪が降るのを待ってたの」

「そうか…」

 つぶやくように言って、娘の肩に恐る恐る、手を置いた。

「元気だったか?」

「うん…」

 再会した親子はどこかぎこちない空気を残したまま、話している。私はそれをぼんやりと聞きながら、目の前に置かれた、緑のリュックを見つめていた。期待していた分、落胆も大きい。隙を見せたらこぼれおちそうな涙を懸命に止める。

 やはり、そんな簡単に物語は運んでいかないんだ。彼にまた会えるなんて、そんなうまくいくわけない。

「パパに、これを見せたかったの」

「え?」

 足元にうっすらと残る青い雪の跡を見つめながら、そのまま雪の中へ沈んでいきそうな気分に襲われていた私は、少女のよく透る声で顔を上げて、そちらを見た。

 ユキミちゃんはさきほど握り締めていた、黒い大きな筒の中から、白いまるまった画用紙のようなものを取り出した。

「金賞、とったのよ。県のコンクールにね、選ばれたの」

 嬉しそうに笑って、両手いっぱいに広げた白い画用紙には、カラフルな色で、口を大きく開けて笑っている、ひとりの男性の顔が描かれてあった。

「幸美、これは…」

 父親は、目の前に差し出された絵を見つめたまま絶句した。泣きそうな顔と、笑顔。でもそこには鏡が置かれたように同じ人間がいた。

「パパの絵。これを、どうしてもパパに、見せたかったの」

 明るい日差しを浴びて、光輝く雪景色のなかで、少女は照れ笑いをした。

 父親は、震える両手を絵に向かって差し出し、そのまま娘の肩をつかんで、引き寄せた。



 空にはぽっかりと青空がまるく現れて、周りに雲がじっと佇んでいる。白一色に染まった里は、小さな透き通った雪の粒に光を反射させている。

 どこもかしこも眩しいその丘で、寄り添ったふたつの影を見つめて、私はさきほどの沈んだ気持ちが何か力強いもので押し返されるのを感じた。

 顔を上げた男性と目が合って、口を開いた。

「何があって、ユキミちゃんと離れちゃったのか、私は知りませんが…。その絵を見れば、彼女があなたの血を、しっかりと受け継いでいることが分かります。それって、すごいですよね」

「ええ。本当に、すごい。すごいなあ…。僕は何を見てたんだろう」

 照れて、もじもじとしていた少女は、いつのまにか娘の顔に戻って、父親の手を握り締めていた。

 いいのかもしれない、と思った。彼を探す、それだけが目的の旅を続けても、いいのかもしれない。

 だって、彼女は父親に絵を見せたい、それだけで旅をしていたのだから。

 父親に手をつながれて、あんなに嬉しそうな笑顔。あの笑顔を私も浮かべたい、心からそう思った。

 ちらりと目の前に何かが舞い降りた。見ると、はらりはらりと、雪が落ちてくる。あれ?でも、今は晴れているのに…?不審に思い、空を仰いだ。

 青空を丸く囲んだまま、停滞していたかのような雲が、じわじわと動いているのが分かった。その灰色の雲の端から、雪がひらひらと舞い落ちる。

 また、降りだしたのか…。ぼんやりと空を見つめていて、きらりと光ったその粒に、はっとした。まだ残る青空をバックに、雪が透き通って、青く見えた気がしたのだ。

「あれ?」

 手のひらを広げて、そこに舞い落ちる雪に、思わず声を上げた。まさか…青い?

「うわあ、なんだこれは!」

「すごい雪!」

 ほぼ同時に親子が叫んだ。突然、ひらひらと舞い降りていた雪が、激しい降りに変わったのだ。目が開けていられないほどになり、私も慌ててコートについている帽子をかぶる。悠長に折り畳み傘を開いているヒマなどない。

「バス停の屋根の下に行こう!」

 言って、走りだそうとした父親の手を、「パパ!」と叫んで、娘が止めた。

「青いよ、青い雪だ!」

「え?」

 少女の声と同時に、私は目の前のその風景を信じられない思いで見つめた。

 里へと吸い込まれるように落ちてゆく、雪。それは昨日見たときと少しも変わらない情景だ。けれども…視界は、空気は白くならない。きらりきらりと時折反射させる雪景色は、青空を写し取ったかのように、うっすら青みがかっていく。

 まだ残る青空をバックにしてるからだろうか。私は傍らに置いてあったリュックの中から、黒いマフラーを引っ張り出して、目の前に掲げた。

 はらはらと次々に舞い落ちるそれは、黒いマフラーに、うっすらブルーがかった姿で、現れた。青い、透き通る、氷の結晶。

「青い雪…」

 見ると、ほんの数分前まで、真っ白だったこの広場も、うっすらブルーに染まって行く。木々に降り積もる雪も、私のコートに横たわる雪も、空気さえもが、まるで子供の頃目に当てて遊んだ、青いセロファンを通して見るように、青味がかった風景に変わっていった。

 それは、私が作り上げてしまった『青い雪』などとはおよそ比べ物にもならないほど、広く、壮大な伝説だった。

 実際には、ほんの1,2分のことだっただろう。手の平に舞い降りた青い氷の粒は、すぐに溶けて、ただの水となった。

 頬に当たる雪の粒の冷たさと、はく息のあまりの白さに気づき、慌てて私がバス停へと走り出したとき、目の前はもう白い風景に変わっていた。



 バス停の下で親子は、ひとことも声を発さず、じっと黙り込んでいた。そのしっかりと握りあった手を見て、あの雪は、この二人のために降ったのかもしれないなと思った。私も、少しはそのおこぼれにあずかれたのだろうか。

 目を開けていられないほどの降りだった雪も、すっかり落ち着いて、しんしんと白い結晶を積もらせている。目の前の道路も、その先の広場も、先ほどの青い景色はうそのようで、すっきりとした白一色の世界に変わってしまった。

 ふいにゴトゴトと音がして、坂の上からバスが降りて来た。バスは、車体を小刻みに揺らしながら、ゆっくりと粉雪を巻き上げて、目の前に停車した。

「あれ?」

 先頭を切って降りてきた婦人に、見覚えがあった。昨日会った、土産物屋の奥さんだ。向こうもすぐに気づいて、声をかけてきた。

「あなた昨日の…。そうそう、緑のリュックのひと、探していたお嬢さんね」

 ぽんと手を叩いて言う。私は婦人の後ろ側に座っている、ユキミちゃんの父親のほうへちらりと目を走らせた。

「ええ、それはもう、解決したんです。ほら、あの方だったでしょう?」

 婦人は私の指すほうを振り返った。その先には、あの彼と、そっくりな派手な緑のリュックをひざに乗せた、父親の姿があった。

「…いいえ、違いますよ、私が見たのは。あら、それじゃあ間違いだったのね」

「え?」

 思いもかけぬ言葉に、私はぽかんとした表情を返した。彼女は続ける。

「今日も会ったんですけど、あの人は、もっと若くて、色黒な感じで…」

「なんですって?」

 思わず抑えきれなかった大声に婦人は驚いて、目を大きく見開いた。鼓動が早くなるのを感じながら、私は口を開いた。

「そ、そのひとは?今日も会ったって…?」

「今日はね、このバスに乗る前に会ったんですよ。なんでも、三時ぐらいの電車で旅立つとか…」

 瞬間、腕時計を見た。針は三時過ぎを指している。

 雪が頬に当たるのもかまわず、赤い屋根の下から飛び出して、私は雪に絡まれながら、道路を懸命に走って渡ると、白い丘へ立った。

 降り続く雪で霞んだ視界の先には、小さな里が、ひっそりと佇んでいる。浅黒い肌をさらした裸樹が銀色の山の背面に際立つ。それらの風景の先の、すうっと走った黒い線に私は目を凝らした。

 白い息の向こうで、紺色の車体を雪に反射させて、ゆっくりと走り出す列車がかすかに見えた。

 走り去る方向をしっかりと脳裏に刻みこみながら、すぐに行くであろう、その先の風景へと思いを馳せた。

 電車はどこまでもどこまでも広がる白原の中を、すべるように進んで行った。




おわり





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雪国に住みたい」というと、

雪国出身の友達には眉をしかめられ、

呆れられるのですが…。

でも雪に対する憧れは捨てきれない。

そんな自分の気持ちを、

いっぱい表現してみたつもりです。 

 



Story & comment by みえ





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