色つき写真

作・み え



  

 その映像がテレビ画面に映し出されたとき、私は自分の目が、いや、目だけじゃなくて体の機能全部が、ぴたりと止まる瞬間があるんだと知った。

 その番組は、日本のどこか小さな農村が、ドキュメンタリータッチで描かれてるもので、溢れる自然の美しさや、村の人たちの昔ながらのささやかな営みが映し出されるなか、ちらりと画面の端を横切った「彼」の姿に、私は目をうばわれた。

「田代くん…?」 
 思わず声に出して、彼の名前をつぶやいてしまった。彼は、もう十三年も昔、中学生だった私が誰よりも仲の良かった、大好きな大好きな男の子だった。

 その彼にうりふたつの少年が、動くカメラの端に、またちらりと映りこんだ。白いティーシャツを着て、まるでにらむようにこちらを見ていた。その表情までもが、十三年前の冬、最後に見た彼の顔と重なって、動揺した私の手はコタツの上の湯のみ茶碗をひっくり返してしまった。

「あっ、ご、ごめん!おばあちゃん、大丈夫?」
 はっと我に返って、慌てて台ふきんを手にすると、傍らにいる祖母に言った。そこでまた、驚いてお茶を拭く手が止まる。

「おばあちゃん?」
「…ああ、ジロウさんだ、あの、ジロウさんだ」
 奥まった瞳をいっぱいに開いて、祖母はテレビ画面に釘付けのまま、小さくつぶやいた。

「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
「あのひとだよ。ほら、またそこに見えた!あれは、ジロウさんだよ」
 しわくちゃの指で、画面を指す。振り返って、ぎくりとした。画面には緑豊かな田んぼをバックに、おどけて手を振る少年たちが次々と映り、最後に先ほどとは変わって笑顔を浮かべた少年の顔が、一瞬アップで映し出された。

「ジロウって、だれ?」
 少年の顔が消えて、田んぼで働く頬かむりをした女性のインタビューへとカメラが移ったとき、少しとまどいながら私が聞くと、祖母はまだじっとテレビへ目線を向けたまま、ジロウさんだよ、と繰り返す。ジロウという名を祖母の口から聞いたことがあっただろうか。祖父の名前は違うし、近所のお茶のみ友達にもそんな人はいた記憶がない。

「あ、おばあちゃん?」
 突然、祖母はぽろぽろと涙をこぼし始めた。そこへ、通りかかった母が気付いて、驚いた声を出した。

「あら、母さんどうしたの?聡美、何か、悲しい番組でも見てたの?」
「ううん。違うけど」
 首をかしげながら言うと、祖母につられて画面を見た母もふうん、と首をかしげる。

「母さん、もう遅いわよ。ほら、そろそろ、寝ましょう」
 またつぶらな瞳から涙をひとしずくこぼして、祖母は母に促されると頷きながら立ち上がった。

 八十も半ばを過ぎて物忘れがひどくなり、最近は時折、周りのみんなも分からないことをつぶやくことが多くなった。そんな祖母の小さな背中を見送りながら、私は祖母が言った言葉を思い出して、首をかしげた。田代君にうりふたつだったあの少年に、祖母は誰を重ねたんだろう?

『…M村の自然の美しさは、損なわれることなく、伝わって行くのです…』
 テレビからナレーターの、低い男性の声が耳に届いた。画面には青空がいっぱい広がり、ぷかりと浮かんだ雲がくっきりと映えていて、翼をいっぱいに広げた鳶が、気持ち良さそうに飛んで行く。

 やがて番組はそのまま終わって、にぎやかなCMが流れ始めた。

「M村かぁ」
 溢れる自然をバックに、白いティーシャツを着た少年の顔を思い浮かべて、私は小さくつぶやいた。

 

 それから数日経っても、私の頭からはあの映像が離れなかった。

「田代君なわけ、ないんだけど。…似てたなぁ」
 夜、瞼の裏に残像のように現れる彼の姿を思い浮かべていると、それに引っ張られるようにして、幼い頃の思い出が、次々と頭をよぎる。

 私が中学二年生の時に転校してしまうまで、一番の友達だった彼は、今はもう二七歳のはずだった。
 いつしか連絡も途絶えてしまったけれど、あの一番辛い時期に一緒にいてくれた彼のことは、今でも私の中で暖かい思い出として、心の片隅を淡い色に染めているみたいだ。
 こんな風に思い出にばかりひたりたくなっちゃうのも、今の自分の毎日が、上手くいってないせいなのかもしれないな。そんなことを、ふと思う。

「そういえば、あの写真、結局もらえないままだったなぁ」
 ホコリを被っていた思い出のひとつがまたふわりと浮き上がり、私はその頃の情景を思い描きながら、浅い眠りに落ちて行った。

 

「聡美や。あの写真、どこへやったかねぇ?」
 休日の昼下がり。ぼんやりとコタツに座って十二月の寒々しい窓の外の景色を眺めていた私へ、居間に入ってくるなり祖母はそう言ってきた。

「え?写真?…なんの写真?」
 思いきり寝坊したせいで、まだ目は眠気を帯びたままの私に、祖母は少しもどかしそうな表情になって、あの写真よ、と言う。

「おかしいわねぇ。日記に挟んであったはずなのに、見つからないのよ」
「おばあちゃんの日記?それじゃあ、知らないよ。どんな写真なの?去年行った、旅行の写真のこと?」
 きょろきょろとその辺の引出しを開けて、中を掻き回しながら、祖母は首を振った。

「違うわよ。私の、むかーしの、大事な写真」
 引出しを閉めると、祖母はまたせかせかと居間を出ていった。

「ちょっと、おばあちゃん、ほんとによく自分の部屋、探したの?…私も一緒に見てあげるから」
 後について祖母の部屋へと向かった私は、一歩入るなり、泥棒が家捜しでもしたみたいに、ぐしゃぐしゃに荒らされた部屋に驚いて思わず棒立ちになってしまった。

「やだなぁ、おばあちゃん。こんなにしちゃって。どうするのよ、これ」
 いつも几帳面な祖母らしくない行動に、呆れて言うと、

「だって、どうしても見たい写真があって、焦っちゃったのよ。大事な写真なのに、どこへ仕舞い込んじゃったのかしらねぇ…」
 そう悲しそうに言いながらも、祖母はせっせと片付けに取りかかり始めた。諦めて、私も手伝うことにしたとき、開かれたタンスの中に、小豆色のカバーをした古ぼけた日記帳があるのが目に入った。何気なくそのカバーを開くと、黄色く変色した紙の上に、ところどころ薄くなったインクで、祖母の字が流れるようにびっしりと書きこまれていた。
 ふと、表紙の一部にひっかかるような手応えを感じて、カバーの隙間を覗くと、小豆色のカバーと本との間に、平べったいものが挟まっている。写真だ!

「おばあちゃん、写真、ちゃんとあるじゃないの、ほら。これのことじゃないの?」
 革カバーをめくり、ぺたりと本に張りついてしまっている小さな写真を慎重にはがして、私は祖母に見せた。

「ああ、そうよ!これ、この写真よ。聡美、ちょっと、貸して見せて」
 とたんに祖母の表情はぱたりと変わって、妙に照れたような笑顔を浮かべながら、私から写真を受け取った。

 それは、本体から一部分を切りぬいたような、小さな白黒の古ぼけた写真だった。奥まって小さくなった目を、祖母はさらに細めてじっと眺めた。
 となりから私もそっと覗き込む。本にべたりとくっついていたせいなのか、茶色いシミがあちこちににじんでいて、ボケてしまってよく見えないけれど、そこにはひとりの少年が映っていた。

「これ、こんな写真だったかしら。色がついてないわね、おかしいわ…。もっと、このジロウさんの足元は、雪で真っ白だったはずなのに」
「ジロウさん?」
 つぶやいた祖母の言葉に、思わず聞き返してしまった。だってジロウって、つい先日、あのテレビに映った例の少年を指差して、涙を流しながら祖母が繰り返した名前じゃない。

「そうよ。それに、この体育館の屋根も、赤かったのに。これじゃあジロウさんの顔が、分からないわ…」
 泣きそうな声で寂しげに言う。なるほど、言われてみると少しぼけてしまってはいるが、確かにこの写真の中の少年は、あのテレビの少年に似ているような気がする。そして、私の思い出の中にいる田代君にも。

「おばあちゃん、このひとって、どんなひとなの?」
 聞くと、祖母は口元を手で押さえて、恥ずかしそうに笑った。

「昔ね、近所にいたひとなの。とっても、仲良しだったひとなのよ」
 そう言って、うふふ、と笑う。頬がほんのりと淡く色づき、祖母の顔はまるで何十歳も若返ったように見えて、どきりとした。当然のことだけど、祖母にも少女時代があったってこと、忘れていた。なんとなく不思議。もう八十歳を越えた祖母の心の中にも、そんな想いが残ってるなんて。

 淡く染めた頬に微笑を浮かべて写真に見入る祖母を、私はとても優しい気持ちで見つめていた。その祖母の横顔がまた、ふ、と寂しげな表情になる。

「それにしても、変ねぇ、こんな色だったかしら。時間が経って、色が落ちちゃったのかしらねぇ。聡美、色つきの写真は、日記帳に挟まってなかった?」

「え?色つきの写真?…他に写真らしいものは、ないよ?」

「おかしいねぇ。絶対、色つきの写真だったんだけどねぇ」

 色つきの写真って、カラー写真のことを言ってるんだろうか?でも祖母の時代に、そんな一般的にカラー写真が出まわっていたはずはない。そんなことを考えていると、祖母は写真を大事そうに日記帳に挟み直して、タンスにしまった。

 それからまた、とぼとぼとした仕草で部屋の後片付けをはじめる。
 一緒に手伝いながらも私の頭のなかは、先ほど見た祖母の写真に連れられて、動き出した田代君の思い出の波に、しばらく揺れていた。

 

「聡美ちゃん、早く!早く!」
 呼ばれて振り返ると、白いコートを着た田代君が真っ白な風景の中に駆けて行きながら、私に向かって手を振っていた。

「ほらほら、あっち見て!雪の写真、撮ってもらわなきゃ」

 田代君の白いコートへと向かって、さくさくと足を踏みしめながら、私は走った。雪が顔にぴちぴちと当たって、白い息が自分の顔にかかる。頬は冷たく、じりじりと痛い。

「待って、田代君」
「すごいよー、あっちの山のほうまで、真っ白だ!!お母さーん、あの山も入れてね」
 やっと田代君に追いつくかと思ったとき、またそう叫ぶと、彼は嬉しそうに走り出した。

 ああ、早く早く、田代君に追いつかなきゃ。大事なことを、言わなきゃいけないのに…。私は必死で追いかけた。呼吸ははあはあと荒くなって、冷たい空気が肺に入る。白い息が、また顔の前で煙って、その先にいる田代君の笑顔が、ぼんやりと薄れた。早く、早く言わなくちゃ。今まで、黙っていたことを。今日が、最後なのに。

「あのね田代君、私やっぱり、お母さんの実家に行くことになっちゃったの」
 必死でそう叫んだとき、横から強い風が吹いて、横顔を叩く粉雪の嵐に、目が開けていられなくなった。田代君、ごめんね、ごめんね…。

 

 ガクン、と揺れてはっとなった。顔を上げ、きょろきょろする。電車の中だ。
 車内にひとかげはまばらだった。窓へと顔を向けると、いつのまにか電車は、作物の収穫を終えた畑や田んぼがのどかに広がる中を走っている。遠く山々がその稜線を青空に際立たせて、ゆったりと聳えていた。

「おばあちゃん、元気にしてるかな…」
 つぶやいて、小さくあくびをした。窓の外では、葉のほとんど落ちた枝を揺らして、木々が日溜りに光って見える。

 小豆色の日記帳で見つけた写真を、その後もひとりで出しては眺めている祖母へ、ふとした思いつきで言ってしまった言葉は、もう取り消すことができなかった。

「おばあちゃん、色つきの写真、撮って来てあげようか」

 なんであんなことを言ってしまったんだろう、と思う。言った瞬間、祖母の瞳はいつか見たときのように何十歳も若返って見えた。そしてここ数日間、目が合うたびに、何か言いたそうな表情をする祖母に、私はなんとなく追いつめられた気持ちになっていた。

 今朝、仕事に行くためにいつもの駅へと向かったとき、ふいに目にとまった電車の沿線地図を見て、私は突然、M村へ行ってみたくなった。M村が日帰りで行けそうなところだったのも、よくないことだった。突発的な思いつきは、その後仕事中もずっと頭から離れず、私は仮病を使って午後早退を決め込むと、M村までの切符を駅で買い求めてしまった。

「まあ、たまには色々忘れて、こういうのも、いいわよねぇ」
 言い訳がましくつぶやいたとき、アナウンスが響いた。窓の外には、いよいよ深くなった山と、その山間に現れた小さな農村の風景が広がっている。

 駅の売店で買った、使い捨てカメラの入ったバッグを肩にかけ、私は駅へと降り立った。

 

 M村は、テレビを見て感じていたとおりの、小さな小さな村だった。
 駅前の売店で、おばさんに小学校の場所を聞くと、私は広々とした畑の間を深呼吸しながら歩いた。どこまでも澄んだ空に、薄くのばしたような雲が、ふわふわと飛んでいる。

 けれども十二月の日暮れは早い。遠くの山の稜線は、もううっすらとオレンジ色を帯びてきていた。そんな農村の夕暮れ風景は、どこか懐かしく、私の心も幼い日々へと連れていかれる。

 中学二年生の冬、両親が離婚して母の実家に住むことが決まったとき、田代君になかなか言えなかったのは、一緒の高校に行くことを約束していたからだったと思う。

 両親のことで辛くて、悲しい毎日を励ましてくれた田代君にそれを言うことはためらわれて、二学期最後のあの雪の降った日まで、私はずっと内緒にしていたのだった。

「あのね田代君、私やっぱり、お母さんと一緒に、お母さんの実家に行くことになっちゃったの」

 雪の中、田代君のお母さんが近くの小学校の校庭で、写真を撮ってくれると言って一緒に出てきたときに、やっと出たその言葉を聞いた田代君は、驚いて、そのあとにらむような表情をして、じっと私を見つめた。

「あの写真、転校してから送ってくれるって言ったのになぁ」
 道の両側に広がる畑は、テレビで見た夏の頃とは違って、もう枯草の姿しかない。寂しげな雰囲気につられて、私の心にも枯れ色が広がっていくみたいだ。

「待ってよぉ!!」
 ふいに、きゃあきゃあとした子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。顔を上げると、すぐ先の角を、数人の女の子と男の子たちが、ばたばたと走りながら曲がってくるところだった。

 通りすぎようとしたその子たちに、思わず声をかけた。

「あれ?ねえ、学校ってもう終わったの?」
「えっ…、うん」
「だって、もうすぐ冬休みだから、お昼で終わり」

 お互い、顔を見合わせながら、数人の子が叫ぶように教えてくれる。どの子もみんな、真っ赤な頬をしていた。

「ね…こんな感じの男の子、あなたたちの学校にいないかなぁ?」
 祖母の日記帳からこっそり拝借してきた写真を、私は見せた。押し合いへしあいして、みんなで一斉に覗き込む。

「だれー、これ?」
「白黒だよ、わかんないよぉ」

 ふざけ合って騒ぐ子供たちに、私はテレビで見た少年を思い描きながら説明した。
 髪型はこんな感じで、目はこれくらいで…。
 話してるうちに、いつのまにか少年の姿は田代君になっていった。

「あ、もしかして…ヒロキかな?」
 一番手前で熱心に話を聞いてくれていた男の子が、手をぱんっと叩いて言う。続いて、
「あ、そうだ。そうだよ、二組の、ヒロキだ!」
 次々にみんなの声が響いた。

「ヒロキくんって言うの。ねえ、その子のおうちは、どこかな?」
「家はここからすぐだけど、きっと今は校庭にいると思うよ」
「え?」

 聞くと少年は毎日、遅くなるまで校庭でサッカーの練習をしていると言う。お礼を言って、私は夕暮れが迫る中、急ぎ足で小学校へと向かった。

 畑の中の一本道から、角を曲がってしばらく行くと、古い民家が両脇に建ち並び、やがてその民家の間ににょきっと建つ、白い建物が見えてきた。

 小さな校門の隙間を入っていくと、傾きかけた陽を浴びて、広々とした校庭と、古びた時計棟のついた校舎が目に入った。

 ボン、とボールを蹴る音が、寂しげに響く。校庭の真ん中辺りで、ボールを追いかけまわす少年の姿が見えた。

 思わず、胸がどきりとしてしまった。

 刻一刻と消えかける太陽の光を浴びて、長い影を揺らしながら、ひとりの少年が、一心不乱にボールを転がしていた。壁に向かって蹴って、跳ね返ったボールをまた器用に足で受け取ると、ドリブルを続ける。

 オレンジ色の陽に黒い髪がふさふさと揺れて、白いトレーナーがまぶしい。

 ふいに、くるりとこちらを振り返った少年は、そこに見物人がいたことに驚いた様子で、一瞬立ち止まった。やがて、不審そうにじっとこちらを見ているのが分かった。

「あの、ヒロキくん、だよね?ちょっと、いい?」
 おずおずと声をかけると、少しためらいを見せた後、少年はゆっくりとこちらに向かって駆けてきた。

 小学生にしては、背が高い。よく日焼けした顔が近付いてきて、その丸い瞳で不思議そうに私を見た。

 私は驚きから声がひとことも出なかった。一瞬にして、自分も十三年前に戻ってしまったような気持ちになる。目の前にいる少年は、田代君とうりふたつだった。

「あの、俺になにか用ですか?」

 うつむき加減になって、見上げるように少年は言った。その瞬間、夢の中にいるようだった私の足元は、どんっと地面の感触を感じた。

 まるで田代君にそっくりな男の子。…でも、全然違う。やっぱり、違うんだ、声が。顔はそっくりなのに、似ても似つかない、高い声。声変わりをしていない、子供の声。

 私はこみ上げてきた笑いをこらえきれず、くすくすと声に出しながら、ヒロキくんに向かって言った。

「ごめんなさい。実はね、あなたの写真を、撮らせてもらいたいの」
「え?写真?」

 とたんに疑い深く顔をしかめながら、ヒロキくんは言う。私は笑いながら、先日テレビを見たこと、それから祖母の話までを正直に、できるだけ分かりやすく話した。

 テレビの話をしたとたんに、ヒロキくんの顔は子供らしく、嬉しそうに輝いた。祖母の話のところは良く意味が理解できないようだったけれど、とりあえず、ヒロキくんは写真を撮ることを了承してくれた。

「それじゃあ、ちょっと、その辺に立ってくれる?…うん、そう」
 校庭の真ん中に立たせて、カメラを覗き込むと、夕陽がまぶしく当たってるのに気付いた。逆光だ。

「ごめんなさい。こっちだと、逆光みたい。反対側から撮るね」
「あ、待って。サッカーボールも、入れていい?」
 言って、彼はたたたっと駆けて行くと、ボールをまた器用に転がしながら戻ってきた。

「サッカー、上手いね」
 私がそう言うと、うれしそうにニカッと笑って、白い歯をこぼした。

「うん。俺、将来、サッカーの選手になりたいんだ」

 その笑顔に田代君の笑顔が、さっと重なった。田代君は、将来外国で活躍できるような仕事がしたいと言って、みんなに大人っぽすぎる、なんて笑われていた。あの頃の夢を、かなえたのか、どうなのか…。いつの間にか心にできていた、小さな固まりが、そのときさらさらと消えて行くのを、私は感じた。

 反対側に回ってもう一度レンズを覗きこみ、はっとした。夕陽にまぶしそうに目を細めたヒロキくんの背中越しに、赤い体育館の屋根が見えた。

「うわあ、こっちは、まぶしいなぁ」

 手で顔を隠すようにして、ヒロキくんは言う。彼の足元に広がる校庭も、夕陽が反射して真っ白に見えた。まるで、雪が降ったあとみたいに。

 出来上がったこの写真を、祖母はまた、あの何十歳も若返ったような顔になって見てくれるだろうか。

 祖母の白黒写真と、結局もらえなかった田代君の写真を頭に思い描きながら、夕陽で輝いた不思議な風景に向かって、私はシャッターを切った。

 

おわり


 



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ほかの物語を書いてる途中で、ぽこんと生まれたお話です。

ひとが生きているうちには、きっと何度も「小説的」なことがあって、
そういう瞬間が多ければ多いほど
人生楽しいだろうなぁ、なんて思います。

そして、そういう一片を切りぬいたような物語が書けたら、
これまた、もっともっと 楽しいだろうなぁ、なんて思ってます。

Story & comment by みえ

 

 

 


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